• 安田ヨウコ

病気でも健康でいよう!-私とわたし

更新日:2018年10月3日

以前は、無意識のうちに、病気と自分の間に一線を引いていたと思う。

「私」はとっても臆病なので、病気ってものが怖かったのだと思う。

(今でも怖いけれども、少し違った怖さ)

だから、一線を引いて、自分の世界に病気を入れたくなかったんだろう。


ところが、自分が入院治療するほど病気だと知って、その一線を越えることになった。

(と、書きながら少し違和感を感じている。既に「入院治療するほどの病気」ではなくなってしまったので・・・。)

一線を越えたと思ったら、そんな線は存在しなかった。

病気、健康の概念が変わってしまったから。


「私、病気になってしまった。」


このことを認めるのに時間がかかった。

でも、検査結果や体調などの情報からそれが現実だと納得せざるを得ず、

よい医師にも恵まれて、納得した。


今思うと、納得の中には、小さいけれども不思議な驚きのような感覚があった。それは


「あー、私って私なんだ」ってこと。(笑)


それまで、それほど生々しく自分って存在を感じたことはなかったかもしれない。

改めて自分が「私の担当者」なのだと気づいたんだと思う。


笑ってしまうけれど私、「からだとこころを楽にする」ことを仕事にしていた。

アレクサンダーテクニークでは、からだを含めた全体的なあり方をレッスンしている。自分全体ということに関して、常に興味を持ち、実践してきたと思うし、それが身近な分野だと思っていた。


それでも、


「ええ!?こんなにも、私は私なのか!?」と、目を覚まされた。


☆彡


一方、


「私、病人になってしまった。」


ということには、いつまでも納得しなかった。

私は病気になったけれど、病人ではなかったと思う。


「私って私なんだ!」って目覚めたことによって、それまでお休みしていたスイッチがはいって、それで私は最高にまっとうな働きをし始めたと思う。

病気だと認めてから、私の心身は自分を癒すために最高によく機能したと思う。


つまり、病気になるほどどこかに負担をかけて生活していたころよりも、

「健康」になったと思う。健康という、そんな能力があることを私自身がしらなかった。


健康、というのは、「わたしという生命体」が全体でまっとうな働きをすることなのではないかと、今思う。


だから、病気と健康という区分けではなくて、

健康でいるか、そうでないかという区分けが存在するだけなのではない