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  • 執筆者の写真安田ヨウコ

やりたいことをするまでは長いみちのり


小さな頃、絵本を描きたいと思っていた。


でも、それはずーっと昔の、気の変わりやすい子供の

小さな望みで、長い間、心の奥にしまわれたままだった。


小さな望みだったのに、

消えずにしまわれていたのだから、

わりとしぶとい望みなのかもしれない。


絵というのは、(絵でなくても)

やむにやまれぬ強い情熱や渇望によって描かれるものだと

思い込んでいる節がある。


ふと、絵を習おうかと思いつくと、

「死ぬほど描きたいわけではないし、

描いたからってどうなるの?」

なんて、思った。


そして、少し描き始めても、すぐに飽きてしまうのだった。 それはたぶん、すこしくらい描いてみても、

自分が思うような絵はすぐに描けない

という、あたりまえのことが

我慢できなかったのかもしれない。

こういうものが描きたいと思っても、

なかなかその様にかけない。


どうしても描きたいの!

と思って、情熱をもって探求したら、

今頃、思うように好きな絵が描けていたのだろうか


探求の道に入って、どんどん創造しながら練習する道もあったのに。



やりたいことをしようと思う。

で、やりたいことって、なんだろう?


やりたいことを思い浮かべてみる


・・・何もでてこない

あれが食べたい

あの人に会いたい

あそこへ行きたい

いつかどこどこで○○をしたい。


などと、浮かんでくるけれど、


ほんとうに?


ほんとうにそれ、したいこと?


って問い直すと、そうでもないってことになる。

死ぬほどやりたいことなんてないように思えてくる。

(わたしって「死ぬほど」以外はゼロという考え方なのかしらね?)



わたし、既にもう、好きな仕事しているよね。

それ、やりたいことだよね。

それ、もっと深めたい。

でも、ほんとうにそうなの?


って聞くと、そうだけど・・・・。

と、もやもやする。


それじゃいけない、と長らく思っていた。

ほんとうの自分の望みに忠実に生きたいから。



で、人生半世紀過ぎ、わかってきたことは、

あれがしたい!ってはっきりしている人もいるけれど、

(あるいは、そういう時期があるけれど)


そうでなくたっていいね。と自分に言う事。


大事なことは、どんなときの、どのような自分であっても

そうなんだね。って認めること。


お腹から出てきた思いを受け止めるのより前に、

お腹からなにもでてこないんだよ。

という私を受け止める。


そうすると、

いろんなことが、

いつもと違った経路で見えてくる。

考えではたどりつけなかった、

実感のようなものが湧いてくる


例えば、


最近まで私は、自分の小さな望みが

わたしにとってそれほど大切なのだと

知らなかったのだな。


それよりも、

現実的なこと、

仕事のことや自分のすべき役割や、

頭のなかの考えに夢中になって、

それが最も必要だと思い込んで、

時とエネルギーを投じていたのだな。


とかね。


そうだったのだな~。と

しみじみする。



引き出しを整理していたら、

ちょうどよい画用紙がたくさんでてきた。


昔、やむにやまれぬ勢いで

たくさんお話を書いた。


そのお話に、

だれか挿絵をかいてくれないかなと

思っていたけれど、


そうだ、自分で描いてみようと思いついた。


そう思いついてから、色鉛筆をとるまでに、

数週間もかかった。


そんなにやりたいと思えなかった。

でも、頭の中のどこかでほんの少し

描いてみる方向へ風が吹いているのを観測する。


色鉛筆を見て、画用紙を見て

そのまま放置して何日も経つ。


時間がないわけではないのに、

手をつけるには体が重くてついていかない。


だから、


そうなのだね。って受け止めた。


ある日、テレビを見ながら、ふと描き始めた。


なかなかうまく描けなくてもどかしいのだけれど、


さっさっさっ


鉛筆が画用紙を滑る音が気持ちがよい。

手に届く感覚と、目で見る色が心地よい。

ワクワクっとした。


ただそれだけのことなんだな。

と思う反面、

頭の中で、もっとこう!そうじゃない!って

理想を求めて叱咤激励する声も始まった。


そうだよね。うん。うん。


もっとこうしたいね。ここはどうしたらいいのかな?

と問いかけたりしながら、練習する。


描いてみたら、いろんなことに気づく


ざっとぜんぶを描いてみる?

一つ一つに時間をかける?

問いかけて、答えが出ない時には

無理に答えをつくらなくていい。


すると、いつの間にかからだが

流れるように動いておのずと答えになってる。


ときどき、自分の中に会話がある


 - 絵を描いてなんになるの?

 - 何もならないよ。

 - それじゃ意味がないんじゃない。

 - 意味、じゃなくて、描いている時が好きなんだよ。

 - それって、時間の無駄じゃない?


ふふふ、と思う。


 - へたくそ

 - そうだね。ふふふ


罪悪感はだんだん少なくなってきた。


わたしだけの楽しみをすることへの罪悪感。

「家族の事や仕事の事やすべて片づけてからやりなさい」

「時間があるならあれをやって、これもできていないじゃない」

と言う声が聞こえる。


でも、なんだって、やりたいと少しでも思ったら

すればいいんだと気づく。


家族のことも、仕事も

やらなきゃ、と言う思いを手放したら

やらなきゃいけないことが

やりたくなる瞬間はくるものらしい


そして、

案外よくやってる自分を発見する



で、挿絵だけど


今のところ

最後まで描ける気はしない。


なぜかというと、

この場面を描くためには

あれを描いてみたり

これを描いてみたりしなければならなくて、


そんな根気あるのかな?

と、疑問を感じながら、

夏休みの子供の絵日記のような

自分の絵を見つめている


「虫とあはれ」山下月子
自分で作ったお話に絵をつけてみている

「虫とあはれ」山下月子


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