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  • 執筆者の写真安田ヨウコ

朝の発見:周期的な落ち込みについて

更新日:2019年9月8日

アレクサンダーテクニーク教師の安田ヨウコです。


ここしばらくの間、けっこう落ち込んでいたんですよ。


私、周期的に不安モードになる。。。

何をみても(あ~、ダメだぁ~😒)となります。

体調かね?

疲れてるの?

そういうこともはっきりわからなくなって、

ますます不安になる。

何をやるのも億劫・・・


で、なにもしないでいると

なにもしていないことへの

罪悪感が出てきて

ますますダメな私になっていきます。😥


こういうときこそ、

アレクサンダーテクニークや

サイレントウェイや、いろいろなこと、

これまで学んできたことを

使えばいいじゃん!?

って、思いますよね!?


私もそう思う。😥


何のために学んできたのよ?

いつ使うのよ?今でしょ!?

っていう、まさにそのことが、

思い出せなくなるんです!!


健忘症か!?

っていうくらいに。。。


思いだせない間は、

ネガティブの森をさ迷い歩いて、

出口が見えなくて、


そして、 ある時やっと、思い出す。

そうだ、アレクサンダーを使ってみよう。

って思いつく。


でも、思い付いたのに、

なぜか、そちらの方向に

ハンドルを切らない自分がいる!


なぜかわからないけれど、

その切り替えをしない。

そうしたら楽になるのに、

なぜかまるで我慢大会のように。


当然、

わかっているのに動けない

となれば、

何もできなくて不安になって、

やる気が全く出なくなる!!


もうだめだ!


って思う。


外から見たら、

何もつらいことはないし、

ただなまけているだけに

見えるかもしれない。


でも、つらい。

とてもつらい。


☆彡


今回の落ち込みから脱した時、

いったいなぜ周期的に そんなことが起こるんだろう?

って考えてみた。

初めて、考えてみた。。。。


私、病院にいたとき

ものすごーく生き生きしてた✨


目に写るすべてのことが

キラキラして見えて、

毎日の暮らしそのものが

ワクワクしてた。


生きているってことは

かけがえのない一瞬で成り立っている

ってことを実感できてた!


ところが!

ベッドの上と病院内だけの生活のせいで

薄く柔らかくなった足の裏の皮膚が

いつしか歩くことに慣れて、

徐々に厚くなってきた頃、


キラキラが見えなくなってきたんだよね。。😥


本質的なものをつかんだ!

私の人生は前と違う!

新しい私になった!

と、あれだけ強く感じたのに、

あっけなく消えてしまった。


その時すごく焦った。


この時の例は極端だけど、

考えてみると、

私は周期的に、

わくわくするような時期と、

それを見失ってしまう時期がある。


そのことを考えた。

この間、気づいたのは、

何もできなくて 落ち込んでいる時、

私は自分を責め始める

ってこと。

責めるまでいかなくても、

不安になって

自分をジャッジし始める。

こんな人間に何ができる?

こんな様子でプロといえる?

頭で理解しているだけで、

自分でなにも生かせていないじゃないか!

そうやって、なにもしないでいたら

何一つ産み出せるわけがないよ!

などなど。


あら!

なんかこれ懐かしい!

やめたはずなのに、

わたしまた自分を責めてるぞ!?


もしかしたら、

周期的に落ち込むのは、

この「責め」モードを起動するためなの?

と、思った。


病気の時、

私は「戦わない」ということを

意識的にしていたんです。


闘病という言葉は嫌い。

戦うのではなく、癒したかった。

自己免疫疾患は自己免疫が

自分を攻撃するのだし、

私は自分の中の戦いを止める努力を

しようと思って、

自分を責めないということを

ひたすらにやってみた。

まあ、イメージトレーニングみたいなもの。


めきめきと効果が表れて

だから病気でも元気でいられたと思う。


それを経て、

今、普段は以前よりずっと

自分を責めずにいられる。


でも、落ち込んで調子が悪くなると、

自分を責めたり、

せかしたりする古い自分の習慣が

確かに浮かび上がってくるらしい。


周期的に落ち込むのは、

私の中にまだくすぶっている

「自分を責める」って行為を起動して

ほらまだ癒せるところがあるよ!

って、教えてくれてるのかなと思った。


逆を言えば、

責められたときの

自分の身をキュっと縮ませるような

馴染みのある体験を無意識に求めてるのかも?

そうなりたいから、

責められる状況をわざわざ作り出してるのかな?



☆彡


お!責めてる!

って気づいたとき、


責めてる自分にフォーカスしてみた。

すると、

責めてる自分はとっても怖がっている

ってことがわかった。


不安で不安で仕方がなく、

でも私自身を何とか保たねば!!

という使命感で厳しい言葉を

かけてしまうのだった。


そうか、そうだったんだね。

私を守ろうとして

それが責めるほうにいっちゃうんだね。


だから、

「ダメな私」が、

「責める私」の叱責を受ける

という構図が出来上がる。

(自己免疫疾患ポイな。って思う)


「責める私」は不安な私。

「ダメな私」も不安な私。

同じ不安を抱えている。


ダメな私は責められると

ますます動けなくなる。

その通りだ。

その通り、私はダメなんだ。

何とかしなければだめなんだ。

と追いつめられる。

・・・


でも、もう責めるのはやめようね。 そして、キュッと体を固まらせるのをやめてみようね。 (ここでやっとアレクサンダーテクニーク)


☆彡


今回の落ち込みが解消したのは

どういうことかと言うと

ある朝、

起きたらそれが消えていた。

忽然と。


前日の夜は、落ち込んで、疲れて

翌朝起きられないかもしれない。

と、思って眠ったのに、

朝早くパチッと目が覚めた。


あれは単に気分のムラだったのか?

と、不可解に思いながらも

涼しい朝だったから、

スロージョギングに出かけた。


自分のからだに集中できた。

周囲の景色を新しい目で見ていた。

私は完全にオーケーだった。

状況はなにも変わっていなくても

わたしの中の思いが変わっていた。


そうだよね、

ハラハラしたけど、

待ってたらちゃんと自分で

リカバーできるんだよね。

わたし、大丈夫なんだよ。


それで、

ああそうか!とまた気づく。


「責める私」は、

私を信用してないんだ

だからあんなに不安で

だからあんなに責めちゃうんだ。

疑いから来るんだ。

なるほど。。。


自分を疑う→不安になる→怖くなる→何とかコントロールしようとして責める


そのシステムがわからなくて、

何度も同じことが繰り返されていたのかも。


今回、やっと気づいた。


気づいたけど、そのままにしておく。

このこと自体を信頼したいから。


もしかしたら変わるかもね。

変わらないかもしれないけれど、

変わるかもね。

と、言うくらいにしておく。



☆彡


写真はスロージョギングでの発見。

最近、近所で咲き誇ってるのは

サルスベリ。


(百日紅って書くんだね)

なんとなく知っていた樹

つるつるしている幹だから

サルスベリなんだよね。


いまサルスベリの季節みたい。

そこここで、長い枝の先に

ふわふわのピンクや白の花が

ゆらゆら風に揺れている。


近くを通ったとき、


あ!


まっ白なサルスベリの中に

黄色いものが見えた!


近づいてよく見ると、

その黄色は「おしべ」だった。


あの花のふわふわの部分は、

小さな花の集まりだと思っていたが、

よく見れば、

小さな花にみえていたのは、

ほんとうは一つ一つが花びらだった。


黄色のおしべを中心に

花びらがいくつか集まって

大きな花をひとつ形成しているのだった。


いやー!知らなかった~!


幼稚園の頃から記憶にある花だけれど

こんなに大きな花たちだったのか!

と、少しばかり感銘を受けた。


人のことも同じで

長年そうだと思い込んでいて

ある時、ふと

そのことの「ほんとう」に出会う。


自分のこともその連続なのだな。

自分の場合は、

気づくまで何度も、

手を変え品を変え

気づくための現象が起きてくれるんだ。

いや、自分で起こしているんだ。


親切


と、いうか


しつこい、


と、いうか、


辛抱強い。。


わたしに必要な気付きが起こるまで

繰り返してくれるんだね。


見捨てないし

待っててくれる。

信頼していいんじゃない?

自分のことを。


ありがとう。私。


そう思った。

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